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当会創立者の植村和堂先生は、古筆収集家としても知られていました。
膨大な数のコレクションのうち、文化財として特に貴重なものが数十点、東京国立博物館に寄贈されています。

国立博物館の壁面にある寄贈者一覧 
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書道会によっては、自身で保管しているコレクションを、勉強会やイベントの際に会員や一般に公開したりしてるケースが見られます。

博物館に寄贈された場合、それを会の皆にも見せてもらうことはできないものだろうか?と前々から願っていたのですが、博物館の方にお願いしてみたところ、観覧会の開催を快諾頂きました!

観覧ツアーは、8月未明、東京国立博物館本館の地下で行われました。
学芸員の方に、会場まで案内して頂きました。

裏の扉から入り、
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2トンの重量に耐えられるというエレベーターで地下におります。
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昭和レトロな雰囲気の漂う、長い廊下が続きます。
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鑑賞会が行われた部屋。
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寄贈品の中から、観覧を希望した古筆が並べられていました。
今回は、11世紀から13世紀のものを中心に、7点鑑賞します。

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学芸員の方が、一つ一つ壁にかけてくださいます。

古今和歌集巻20断簡(関戸本) 伝藤原行成筆 平安時代 11世紀

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仮名書道をやっている人ならば必ず臨書する関戸本。
ガラスケース越しではなく、目と鼻の先でじっくり鑑賞することができるので、墨の色や線質、紙の質感など、直に感じることができます。平安時代のものなのに、墨の色が全く褪せていなくて、本当に美しいです。

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拾遺抄切 伝藤原公任筆 平安時代 11世紀

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紙には雲母が引いてあり、光を当ててみると、表面がきらきら光ります。

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針切 伝藤原行成筆 平安時代 11~12世紀
小さくて細かい字ですが、筆遣いが鋭く、エネルギーを感じる作品です。
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軸に使われている布も凝っています。室町時代のころの布だそうです。
古筆鑑賞は軸も含めて鑑賞する面白さがあるので、是非軸装にも注目してほしいと、使用されている生地や軸の決まりごとなどに関して学芸員の方が色々説明して下さいました。

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古今和歌集断簡 藤原定実筆 平安時代 12世紀
料紙に蝋箋が用いられています。

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古今和歌集(通切) 【重要美術品】伝藤原佐理筆 平安時代 12世紀
重要美術品とは、昭和はじめの制度で、国外に貴重な美術品が流出しないように指定されたものとのことでした。

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昭和18年に指定されたもののようです。巻物と一緒に入っていた書類。
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こちらも一緒に箱に入っていたハガキ。古物商から植村和堂宛のハガキで、「120円で買いませんか?」と書いてあります。

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記録切 藤原定家筆 鎌倉時代 13世紀
藤原定家の日記断簡。
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御文庫切
藤原家良筆 鎌倉時代 13世紀

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学芸員の方にご説明を頂きつつ、2時間くらいじっくりと至近距離で鑑賞することができ、古筆を肌で感じる、すばらしい体験をすることができました。

急に決まったツアーではありましたが、この貴重な機会、これからの書道会を担っていく会の若手の方たちにも経験して頂きたい!と思い、若手書家の方たちにも希望を募ってはいたのですが、あいにく組まれた日程が平日ということもあったため、今回は参加できた方が僅少だったのが残念ではありましたが、幸いにもまたこのような観覧の場を設けて頂けるとのことでしたので、次回は少しでも多くの方が参加できたらいいなと思います。

7月1日、清和書道会70周年展を記念した祝賀会が開催され、約200名の参加者が銀座の東武ホテルに集いました。現代仮名書道を代表する先生方や毎日新聞の方々、いつもお世話になっている筆や硯、表具専門の方々をはじめ、多くのゲストの方にもご出席頂き、70周年にふさわしい大変華やかな会となりました。

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九州からは、九州国立博物館の島谷館長も駆けつけて下さいました。

現在、書道展覧会では、家に飾ることのできない大きなサイズの作品を展示するけれども、できるだけ多くの人に書作品を見てもらうためには小作品を創作することも大切なのではないか、というお話がありました。

展覧会用の大きな作品は、とにかく紙代もかかるし、書いても飾る場所がないし、売れるわけでもないし、展覧会が終わったら見返すこともないし、この作品の山は一体どうしたものだろう。。。と、私も書道を始めたころから常々感じていたので、この言葉には大きく反応してしまいました。

和堂先生もこのようにおっしゃっています。

「あの馬鹿でかい作品というものは、展覧会の為だけに必要なので、展覧会が終わったら剥がして巻いて押し入れにでも突っ込んでおくより仕方がない」
(『清和70年 植村和堂の足跡』より)

展覧会の作品制作とは別に、今後自分の作品を制作していくにあたって、どのような方向で進んでいったらよいかも常に頭の片隅に入れてアンテナをはっておけたらいいいなと思いました。

また島谷館長からは、文化の継承、ひいては「和堂イズム」をどうやって継続的にしていったらよいか常に心に留める必要があるのではと、今後私たちが活動していくにあたっての貴重なメッセージを頂きました。

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和堂先生は幼少のころ病気をして片方の目の視力と片方の耳の張力を失っています。書家になろうと決心をした10代のころ、書道の練習で字がどうしても曲がったため、自分の母親にどのように曲がっているか書く度に見せては直し、何度も繰り返し練習をしてやっと真っすぐに書けるようになったそうです。

後に、自分が幸せと感じた時の気持ちを歌にして残していますが、その殆どが、「墨をすっているとき」だったり、「墨の匂いをかいでいるとき」だったり、「古筆古写経を広げてみるとき」だったり、好きな書道や古筆に関わっている時のことでした。

陰ながら人の何倍もの努力を惜しまず、好きなことを一生をかけて追及した生き方そのものが、「和堂イズム」のコアになっているのかもしれません。

(管理人記)

1月20日、上野の老舗中華料理店「東天紅」にて、平成30年清和書道会総会・祝賀会が開催されました。
例年6月に開催される総会ですが、今回は清和展の祝賀会と総会が同時に開催されました。

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会長より、昨年度の事業報告と、今年の事業計画が発表されました。
今年は6月26日から7月1日まで、清和書道会70周年記念展覧会が銀座鳩居堂画廊にて開催されるため、当会にとっては特別な年になります。

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会長の報告の後は、昨年12月に開催された清和書展における受賞者の発表と、表彰式が行われました。

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和堂大賞受章者には、和堂先生のコレクションの硯が授与されました。和堂コレクションの硯は、現在ではなかなか手に入らない貴重な骨董価値のあるものが多く、毎年毎日展や清和展の大賞受賞者にはこれらのコレクションの硯が授与されてきました。

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表彰式の後は、新任理事の紹介がありました。

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レセプション後半は、老舗中華の美味しい中華料理を囲みながらの歓談が尽きず、普段顔を合わせる機会のない他教室の方々と交流するとてもよい機会となりました。

平成29年11月12日 町屋文化センターで漢字勉強会がありました。講師は創玄書道会の佐伯覚明先生で、今回は隷書の勉強でした。課題は鄧文の七言二句を半切に書くことで、字数は七字でも十四字でもよく、行数も一行でも二行でもよいということでした。

当書道会はあまり隷書を書く人がいないということで、佐伯先生による隷書の書き方の基本のお話がありました。まず起筆は蔵鋒で入り、横線は右肩上がりにしない。字形は扁平にして、波磔は一字で一箇所以上は行わない。文字は上下・左右揃え、字の間隔は縦は広く、横は狭くするなどでした。それから先生による模範揮毫の後、各自練習にとりかかりました。 わずか3時間足らずの勉強会でしたが、参加者は以前と較べて隷書らしい字が書けるようになりました。

(植村正記)

今年の清和のバス旅行は「良寛を訪ねる旅」となりました。東京から直接バスで新潟まで行くと往復に時間がかかり一泊二日では厳しいので、多少値段は張りますが、東京~新潟間は新幹線になりました。往復ともE4系の二階建て車両でした。

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1997年に東北新幹線でデビューした車両で、当時16両編成時の定員1634名は高速車両としては世界最大ともてはやされたのですが、東北新幹線が320キロにスピードアップした時に、鈍足のため上越新幹線へと追いやられ、平成20年には全廃される予定との事です。残念な気もしますが、一階席に座ると眼の位置が線路脇の障壁より低く、折角窓際の席に座ったのに、東京から新潟までずっと壁ばかり見て過ごし、これでは人気が出ないのも止むを得ないのかなと思いました。

東京駅発8時24分、新潟に着いたのは10時28分。駅前広場に「清和書道会様」という標識を掲げた中型バスが待っていました。

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駅からほんの5分ほどのドライブで新潟日報ビルに着き、ここの5階にある「会津八一記念館」を見学しました。

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会津八一は明治・大正期の文人で、名前は良く聞くのですが、正直詳しい事はここで初めて知りました。
明治14年新潟生まれ。地元の中学在学中から文学好きで良寛や正岡子規に親しみ、明治35年に上京。早稲田大学を卒業した後、一時地元の中学の英語教師。その後再び上京して、母校の早稲田大学で長らく教鞭をとっていましたが、空襲で家を失い新潟に疎開。戦後は夕刊新潟の社長に就任、文化振興に力を尽くしたということです。号は秋艸道人。歌人、書家、東洋美術史家。展示品は書簡が主でしたが、掛軸、扁額、良寛の肖像画、焼物なども並んでいて、多才ぶりをうかがい知ることが出来ました。

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佐渡汽船の船着場の食堂で箱弁を食べた後、良寛の里美術館に行きました。天衣無縫と称される良寛さん晩年の書が何点も展示されていてゆっくりと観賞できました。

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自由闊達この上ないのですが、読み難いことも半端ではなく、毎日展に出品したら誤字と判断されないかと余計な心配をしました。

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ここは国道116号線沿いの道の駅「良寛の里わしま」に隣接していて、良寛さんが晩年を過ごした木村家、和らぎの家、出逢いの庵、茶室指月亭、隆泉寺などなど所縁の建物が並んでいるのですが、どれが史跡でどれが観光用に後から作ったものなのか、もう一つよくわかりませんでした。

次に良寛記念館に行きました。こちらのほうは落ち着いた観光色の少ない普通の美術館でした。

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和堂先生も昭和45~6年頃ここを訪れていて、その感想を清和誌に次のように綴っています。
『良寛の生家、山本家の墓地の近くに建てられている。佐渡を目の前にした海岸の台地で、玄関と長廊と本屋からなり、簡素だが瀟洒な美しい建物である。この館の収蔵品は良寛の研究家で郷土史家でもある佐藤吉太郎翁が集められたものが主体となっている。一番興味を引いたのは弟の由之に宛てた手紙「人も三十四十を越えてはおとろへ行くものなれば・・・」という放蕩を戒めた文で、一行に五字から七字位の大きな字で、あまり続け書きにせず、字粒の揃った読み易い書きようで、二〇行程の良寛の手紙としてはかなりの長文である。』

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隣接する夕日の丘公園に行って、日本海と遥か海上に霞む佐渡島を望見し、記念写真を撮りました。東京を出発した時は雨でしたが、幸い日本海側は晴れていました。

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六時に岩室温泉に着き、「大橋館の湯」に投宿しました。温泉は硫黄の臭いがきつく、なめると塩っぱい味がしました。夕食後の宴会はカラオケで、久しぶりに昔々の会社の慰安旅行の雰囲気を体感しました。

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翌朝九時に旅館の人に見送られてバスで出発、30分ほどで国上寺に着きました。709年に建立された大層歴史のあるお寺で、当初は修験道でしたが、法相宗・天台宗・真言宗醍醐派を経て現在では真言宗に属しています。現在の本堂は四度目の再建で、国上寺の中興の祖といわれる万元和尚が再建したものです。
閑散とした淋しいお寺でしたが、渡り廊下の先にもう一つお堂があって、こちらの方は幟が立ち、脇に水子地蔵が立ち、庫裏にも繋がっていて多少賑やかでした。案内人にどちらが本当の國上寺なのかと聞いたら、両方国上寺だと言っていました。

淋しい國上寺
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多少華やかな國上寺
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万元が資金集めに奔走する間住んでいた庵が五合庵で、一日あたり米五合を給されたのが名前の由来とか。その後は住職が引退した後の隠居所に使われていましたが、良寛が住んだことで一躍有名になりました。良寛の歌によれば、屋根は「槇の板屋」、柱は「竹の柱」、入口には「菰すだれ」がかかっていました。

五合庵の周りをぐるぐる廻ってみると裏手に小さな池がありましたが、便所も炊事場も無く、随分と住みにくそうな庵だとの印象を受けました。炊事は托鉢に出ればやらなくて済むとして、トイレはそうもいかないので、外で用を足して池に流したのだろうかなどいろいろ憶測しました。しかし現在の五合庵は大正3年に再建されたレプリカで、昔は崖から流れ落ちる清水を利用し、別棟の便所があったそうです。県の文化財に指定されていますが、復元するなら正確にやってほしいものです。

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「いざここに 我が身は老いん
あしびきの 国上の山の 松の下庵」
「焚くほどは 風がもてくる落葉かな」

 國上ビジターサービスセンターの駐車場から國上寺間は尾根伝いの登り坂で、五合庵は別の尾根伝いに大分下ったところにあります。もう一度尾根伝いに登って戻らなくて良いように、谷を跨ぐ吊り橋が架かっていました。

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國上寺からバスで30分ほど走って弥彦神社に着きました。閑散としてひとけの無かった國上寺に比べて、越後一ノ宮の弥彦神社は頗る賑わっていて人も多く、参道の両側には土産物屋が軒を連ねていました。

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弥彦神社は万葉集にも歌われる古社で、祭神は天香山命、ご神体は標高六三四メートルの弥彦山で、大鳥居から遠望することができます。神社の境内からバスとロープウエーを乗り継いで山頂に登り、山頂のレストランで昼食にわっぱめしを食べました。

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弥彦神社から北陸自動車道と関越自動車道を通って2時間ほど走り、魚沼の近くにある西福寺開運堂へ行きました。西福寺は1534年開山の曹洞宗のお寺で、開山堂とは初代住職を祭る御堂のことです。このお堂は幕末の石川雲蝶による彫刻や絵画で有名で、道元禅師を題材にした作品が多くありました。

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テープレコーダーの解説に合わせて、案内人が該当する場所に懐中電灯の光を当てるといったスタイルで、堂内の天井に施された彫刻を細かく説明してくれました。

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堂内は写真撮影禁止なので、堂の外の彫刻を撮影しておきましたが、やはり外の彫刻は大分風化が進んで色はほとんど褪せていました。昔は村の若い衆が命綱を取って高い開山堂の屋根に上り、何度となく雪下ろしをしていたそうでが、平成11年に覆い屋根ができてその必要が無くなったとの事です。

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17時浦佐駅発のMAXとき334号に乗って無事帰りました。なかなか変化に富んだ楽しい旅行でした。行程中には結構坂道や石の階段が多く歩くのには苦労しましたが、皆さん頑張りました。

幹事さんご苦労様でした。
(植村 齊記)

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