毎日書道展特別展示として、国立新美術館で手島右卿(1901-1987)展を開催しています。
右卿は、徹底した古典学習の上に、美術としての書を目指し、世界的に活躍した日本を代表する書家の一人です。
作品はどれも心に響くものでしたが、個人的に特に印象に残ったものをご紹介します。
入口付近に展示してあった「山行」という作品。右卿46歳の作品で、”美術としての書”への挑戦という意欲作とのことですが、ぱっと見た時、なんとなくパウル・クレーを思い出しました。
【パウル・クレーの作品】
「猫」右卿85歳の作品。
「”書かれた猫字”ではなく、「猫字が居る」の印象でなくては、存在感的には無策の作ということになる」(右卿)
作品はもちろんですが、右卿語録もすてきです。
わたしは今 真の書を生みたいと 必至である
身に備えあれば 胸に盈ちて来ると同時に
おのずから 作品は生れる
何の怖れることも 歪めることもなしに
そっと
いのちを紙の上に 載せることはできないものか
Now, my focus is inevitably a desire to give birth to true sho.
when the body is prepared, and sho wells up inside you,
It flows forth naturally.
Without being afraid of anything or changing any details
quiety
can't we express our life on a piece of paper?
光を孕んでいなければならないのです
空間も文字も
光を吸い込んで
初めて生き生きとしてくるのです
Sho must be filled with light.
Space and characters come to life
only once they have taken in light.
右卿は、徹底した古典学習の上に、美術としての書を目指し、世界的に活躍した日本を代表する書家の一人です。
作品はどれも心に響くものでしたが、個人的に特に印象に残ったものをご紹介します。
入口付近に展示してあった「山行」という作品。右卿46歳の作品で、”美術としての書”への挑戦という意欲作とのことですが、ぱっと見た時、なんとなくパウル・クレーを思い出しました。
【パウル・クレーの作品】
「猫」右卿85歳の作品。
「”書かれた猫字”ではなく、「猫字が居る」の印象でなくては、存在感的には無策の作ということになる」(右卿)
作品はもちろんですが、右卿語録もすてきです。
わたしは今 真の書を生みたいと 必至である
身に備えあれば 胸に盈ちて来ると同時に
おのずから 作品は生れる
何の怖れることも 歪めることもなしに
そっと
いのちを紙の上に 載せることはできないものか
Now, my focus is inevitably a desire to give birth to true sho.
when the body is prepared, and sho wells up inside you,
It flows forth naturally.
Without being afraid of anything or changing any details
quiety
can't we express our life on a piece of paper?
光を孕んでいなければならないのです
空間も文字も
光を吸い込んで
初めて生き生きとしてくるのです
Sho must be filled with light.
Space and characters come to life
only once they have taken in light.