*当会の植村斉会長(元日産自動車)が、清和誌8月号に寄稿した「書つれづれ86 コロナ」を抜粋して下記掲載します。

 

「コロナ」といえば、トヨタの中核的な小型乗用車の愛称で、私にとっては忘れることのできない存在です。

 

戦前、日本の乗用車は、小型車はダットサンとオオタ、中型車はトヨタでした。

 

終戦後、昭和22年に日本での乗用車生産が許可されると、各社からいろいろな乗用車が発表されましたが、商業的に成功したのは、昭和30年に発売された日産のダットサンとトヨタのトヨペット・クラウンでした。

【日産ダットサン110型‐210型】
図4)ダットサン110


【トヨタ トヨペットクラウン】
図5)トヨペット クラウン


当時の乗用車の最大の顧客はタクシー業界で、小型車はダットサン、中型車はクラウンがほぼ独占していました。

 

昭和32年にトヨタはトヨペット・コロナを発表して小型乗用車市場に進出し、これに対抗して日産も昭和35年に中型車のニッサン・セドリックを発表して、トヨペット・クラウンの対抗車としました。(この年に私は日産自動車に入社しました)。

【トヨタ 初代コロナ】
図6 初代コロナ

【日産 初代セドリック】
図7初代セドリック

 

昭和38年に、高速道路が日本中に建設されてモータリゼーションが浸透してくると、我国の乗用車の主流は、タクシー中心の中型車からマイカー狙いの小型車に移り、日産のダットサン・ブルーバード(310型)とトヨタの二代目トヨペット・コロナが、熾烈な販売合戦とシェア争いを演じるようになりました。ダットサン・ブルーバードはどちらかというと堅牢で質実剛健なイメージ、一方のトヨペット・コロナは瀟洒な都会的な雰囲気の車でした。

【日産 ダットサン・ブルーバード】
図8ブルーバード 310

【トヨタ 2代目コロナ】
図9)二代目コロナ

 

このイメージをチェンジして一気にコロナに差をつけようと、日産はブルーバードの次のモデル410型のデザインを、イタリアの有名なカーデザイナー「ピニン・ファリナ」に委託しました。出来上がった車は、乗り心地も十分のなかなかいい車だったのですが、外観デザインが日本人の嗜好に合わなかったのか、売れ行きはもう一つ伸びず、トヨペット・コロナに差をつけられてしまいました。

【日産 ブルーバード410型】
図10)ブルーバード410

 

410型ブルーバードでトヨペット・コロナに差をつけられた日産は、当初ローレルの後に出す予定だったブルーバード510型を急遽先行して発売することに決め、その懸架装置の設計を私が担当することになりました。

【日産 ブルーバード510型】
図11)ブルーバード510

 

当時はまだコンピューターを使って設計するなどということはなく、大きな製図板にトレース紙を張り付けて鉛筆書きで図面を作成し、非効率分は残業でカバーしました。図面の提出期限が迫ってくると、終電を気にしながら作業し、月間の残業時間は平均して4~50時間、多いときは80時間を超えました。

 

これだけ苦労をして設計したのですが、発売直後大きな問題が発生してしまいました。原価低減と作業性向上のための改良を施し、走行試験でも十分の性能が保証されたので特許も申請したのですが、炎天下に長時間駐車しておくと、走行中に音がしたりひどいときは破損してしまうことが判明したのです。このような状況を予測してのテストはしてなかったための判断ミスでした。

結局出荷済みの車両を回収し、従来の内外筒接着タイプのブッシュに戻したのですが、課長に呼びつけられて「リコール費用に二億円かかったぞ」と叱られました。しかしながらこのモデルは大変好評で、前のモデルの不評で水をあけられていたトヨタ・コロナに再び勝つことが出来ました。

 

今当時を振り返ると、若かったころの気負いが懐かしく思い出されます。ブルーバードもコロナも既に生産が中止され過去の車になってしまいました。「仇敵コロナ」も今となっては旧友のようなもので、連日悪玉扱いで報道されているのを見ていると気の毒になります。

 

(植村 齊記)