書道をするのは初めてという子も何人かいたので、まずは筆の持ち方や、線の引き方などを説明することろからスタートです。

途中で飽きてしまうかなと心配しましたが、みんな集中して、納得できるまで何枚も書いていました。
冬の展覧会が楽しみです。

詩人・作詞家としてご活躍されている宮中雲子さんは、清和書道会の梶原嫦人先生のもとで書道を稽古されていましたが、梶原先生亡き後、今年初めてかな昇段試験に挑戦して初段に合格されました。今回、合格したその感想を詩に託して頂きました。また、清和書道会との関わりについての手記もご紹介します。
初段
段なんかいらないと
毛筆で書くだけで満足と
気楽に書道を続けていたのに
昇段試験を受けるように薦められ
決心してからは
右腕が抜けるのではないかと思うほど
書きに書いた
結果に期待の持てないまま
提出した半切
それだけに昇段の知らせは嬉しかった
二十年続けて
やっと獲得した初段
人様に言えるほどのものではなく
喜びは 胸の内でひそやかに
~雑誌「清和」のために~
詩人・サトーハチローが童謡と抒情詩の同人詩「木曜手帳」を発刊するにあたり、広く会員を募集した際、私も参加したが、詩を書いたことはなく、詩人になるつもりもなかった。しかし詩を書いたことのある人より、まっさらの方がいいと言われ、勉強会に出席。サトーハチロー先生に師事して、詩らしいものを書くようになった。「木曜手帳」が二百号を出したとき、サトウ先生が亡くなり、その後「サトーハチロー記念館」を開館。ハチロー夫人を手伝いながら、「木曜手帳」を続け、私もものを書いての暮らしをしていた。
小学館の学習雑誌などの仕事をさせてもらっていた折、小学館から「三行手紙」と実用書を出すことになった。手紙を書くことを奨励するもので、私が三行の文を書き、石飛博光氏がそれを毛筆にするものだった。そんなご縁で、私が私詩集を出したとき石飛氏に贈呈したところ、氏の個展で私の詩を書いてくださったことがあった。
ハチロー夫人が亡くなって、ハチロー記念館が閉館すると、「木曜手帳」のための勉強会をする場所に困った。そんな折、梶原慶子先生が「駒込にお稽古場があって空いている日なら使ってもいいですよ」と声をかけてくださった。渡りに船とご厚意に甘え、週一回使わせていただいた。私もお習字は好きだったので、手習いに通うことになり、梶原先生が亡くなられるまで師事してきた。そして八十四歳で初段をいただくことができた。
今では書道の喜び苦しみも詩の種にするに至り、百歳人生のどこまで生きられるかわからないが、充実した人生を送りたいと願っている。
【プロフィール】
宮中 雲子(みやなか くもこ、1935年
-)
日本の詩人、童話作家、作詞家。日本童謡協会副会長。同人誌『木曜手帖』編集人。
1935年 愛媛県西宇和郡三瓶町(現・西予市)生まれ。
1957年よりサトウハチローに師事
1971年 童謡集「七枚のトランプ」で第1回日本童謡賞詩集賞受賞
1996年 第8回サトウハチロー賞受賞
1998年から故郷の三瓶町(2004年からは西予市)で宮中雲子音楽祭が毎年開催されている。